トルコ陶器を探して!横浜赤レンガ倉庫を散策

つぶやき
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赤レンガ倉庫「セヴィンチエイト」

 

9月上旬に横浜赤レンガ倉庫へ遊びに行ってきました!

私が目指したのは、「セヴィンチエイト」というトルコ雑貨屋さん。飾るのにちょうどいいものはないかと物色しに行きました。

トルコ陶器の中でもキュタフヤ陶器は、カラフルな色彩と繊細なデザイン、ぷっくりと盛り上がった柄がかわいい陶器です。お皿やボウル、鍋敷き、置物などいろいろな種類があり、私の好みにドンピシャ!なんです。

そこで、赤レンガ倉庫内にあるショップ「セヴィンチエイト」を訪れたのですが、ガラス食器が多く陶器が少なかったので、置物探索を断念しました。かわいい小皿をたくさん買いたかったのに残念……

 

トルコで有名なキュタフヤ陶器

キュタフヤ陶器とは、トルコ最古の都市「キュタフヤ」で16世紀から現代まで受け継がれてきた陶器です。

キュタフヤは、トルコ西南部にある内陸の小さな町。今まで観光客はあまり訪れることはなかったようですが、美しい陶器が世界に知られるようになると、買い付けに来る外国人が足を運ぶようになりました。その人たちがあげるSNSの画像が美しく、私も一目で虜に。鮮やかなトルコブルーをはじめ、赤や黄色、緑、紫から黒へのグラデーション、などなど見ているだけで心が躍ります

いつかは、現地でゲットしたい逸品です。

 

横浜が世界に誇る建物「赤レンガ倉庫」

 

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この赤レンガ倉庫は、1899年(明治32年)に、海外から運びこまれた物資を一時的に保管する保税倉庫として建てられたレンガ造りの建物です。日本最初の荷物用エレベーターやスプリンクラー、防火扉などを備えた最新鋭の設備レンガは全て国産品という、横浜が世界に誇る建物です。

1923年9月1日に発生した関東大震災では、1号倉庫が半壊する被害を受けましたが、1930年には修復と補強工事が終わり、港の施設として再スタートをしました。

しかし、1945年に第二次世界大戦が始まり海外との貿易が途絶えると、赤レンガ倉庫は軍事物資の補給基地として活用されます。終戦後はGHQに強制的に取り上げられ、アメリカ軍の港湾司令部として使用されることになりました。

「赤レンガ倉庫」生き残った港のシンボル

10年後の1956年になって海外との取引が再開されると、再び倉庫として稼働し始めます。そのころは物資を輸送するため、SLが赤レンガ倉庫前を走っていたんです。真っ黒で重厚なSLと赤いレンガのモダンな建物の対比はかっこよかったでしょうね!

1976年になると、広いコンテナヤードが整備されたふ頭に倉庫の役割を奪われ、赤レンガ倉庫は建物の解体を検討され始めました。そのなかで、「みなとみらい21」という横浜市の都市再生計画の一環として保存する案も提出され、みごと港のシンボルとして生き残ったんです。

じっくり時間をかけて過ごしたい「赤レンガ倉庫」

横浜で暮らす私たちが知っているのは、倉庫としての役割を終えた後の赤レンガ倉庫。2002年からは展示スペースやイベントホールを備えた文化施設、レストランやショップが入る商業施設として生まれ変わりました。

今では、ファッション雑貨やインテリア、横浜土産などのショップや、「GRANNY SMITH APPLE PIE & COFFEE」といったカフェや「FISHERMAN’S MARKET」などのレストランが多数入っています。

 

「あぶない刑事」と「赤レンガ倉庫」

私たちが知る赤レンガ倉庫は、こんなににぎわう場所ではなく、静かなデートスポットでした。夜になると、やんちゃな人たちのたまり場でしたが……。そして、この場所は映画やドラマ、ミュージックビデオ、ファッション誌の撮影などの撮影場所としても有名だったんです。昼間は、立ち入り禁止になっていることもありました。

私が心に残っているのは「あぶない刑事」の撮影です。このドラマの撮影は赤レンガ倉庫だけでなく、山下公園や中華街、私の地元にある病院でも撮影をしていました。そのころは、柴田恭兵が演じる「ユージ」と舘ひろしの「タカ」コンビ、仲村トオルや浅野温子も見ることができて大興奮!

翌日の学校では「柴田恭兵見た!」「仲村トオルと握手した!」なんて会話でもちきりでした。若かったですね。

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